白うんちと幸せについて
古来より白蛇は神聖なものとして崇められてきた。白蛇は神の化身あるいは神の使いと呼ばれ、白蛇が現れる夢は幸運の訪れを予知する大吉夢であった。
ならば白うんちはどうか。バリウムを飲んだ私の体内で生成される白うんちもきっと幸運の訪れを予知する、いや、もはやこれは夢ではなく現実であるからして予知なんてぬるいもんではなく確実に幸運が訪れる。しかも年1回の健康診断のたびに白うんちが生成される訳だからこれはもう絶対幸運。ブッダもキリストも青ざめるほどの御利益。なんて妄言を宣いながら月曜日健康診断を受けてこます。バリウム飲んでこます。白うんちで幸運を掴んでこます。
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「幸せ」とはなにか、ということについて。
「幸せ」とは、刹那的なものだと思う。
「幸せ」は「状態」ではなく、「瞬間」でしかない。
「幸せ」を「状態」として捉えた場合、そこから「より幸せな状態」になるか、「不幸せな状態」の“上がるか下がるか”の二者択一の選択肢しかなくなる訳であって、「より幸せな状態」になればまあいいけど、もちろん「不幸せな状態」に落ちることもある訳で、そう考えると人生辛い。
花火がきれいなのは刹那的なものだからで、花火が消えずに常に夜空を彩っていたらきっときれいだとは思わなくなるだろうね。
だから、その瞬間、瞬間を花火のように「幸せだなあ~」と思うようにすれば人生少しは楽に生きられるんじゃね?と思うわけです。
「幸せは 途切れながらも 続くのです」(Byスピッツ『スピカ』)ってね。いい曲だから聴いてね。
P.S.サイコパスの話も書こうと思ったけどまた後で気が向いたら書きます。