白うんちと幸せについて

古来より白蛇は神聖なものとして崇められてきた。白蛇は神の化身あるいは神の使いと呼ばれ、白蛇が現れる夢は幸運の訪れを予知する大吉夢であった。


ならば白うんちはどうか。バリウムを飲んだ私の体内で生成される白うんちもきっと幸運の訪れを予知する、いや、もはやこれは夢ではなく現実であるからして予知なんてぬるいもんではなく確実に幸運が訪れる。しかも年1回の健康診断のたびに白うんちが生成される訳だからこれはもう絶対幸運。ブッダもキリストも青ざめるほどの御利益。なんて妄言を宣いながら月曜日健康診断を受けてこます。バリウム飲んでこます。白うんちで幸運を掴んでこます。

 

 

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「幸せ」とはなにか、ということについて。

「幸せ」とは、刹那的なものだと思う。

「幸せ」は「状態」ではなく、「瞬間」でしかない。

「幸せ」を「状態」として捉えた場合、そこから「より幸せな状態」になるか、「不幸せな状態」の“上がるか下がるか”の二者択一の選択肢しかなくなる訳であって、「より幸せな状態」になればまあいいけど、もちろん「不幸せな状態」に落ちることもある訳で、そう考えると人生辛い。

花火がきれいなのは刹那的なものだからで、花火が消えずに常に夜空を彩っていたらきっときれいだとは思わなくなるだろうね。

だから、その瞬間、瞬間を花火のように「幸せだなあ~」と思うようにすれば人生少しは楽に生きられるんじゃね?と思うわけです。

 

 

 

「幸せは 途切れながらも 続くのです」(Byスピッツ『スピカ』)ってね。いい曲だから聴いてね。

 


スピッツ / スピカ

 

 

P.S.サイコパスの話も書こうと思ったけどまた後で気が向いたら書きます。

意識低い系カフェ

 カフェが好き、というとオシャレな趣味だと誤解されがちであるが、私は意識低い系カフェが好き。小洒落れた内装でフカフカのソファーなんぞに座って、ラテアートが施されたコーヒーをすする。あるいはスタバでなんたらフラペチーノをすすりながらMacBook開いてドヤ顔、みたいなのが意識高い系カフェだとすると、意識低い系カフェはその対極。起きてるのか寝てるのかよく分からないおじいちゃんが隣で競馬新聞広げてる、みたいなのが意識低い系カフェ。ってことで、意識低い系カフェを語るぞ。


1. ドトール
 言わずとしれた全国チェーンの喫茶店。ザ・スタンダードって感じで小洒落れた飲み物はそんな多くない。コーヒー一杯200円ちょいで飲める。暇を持て余したおじいちゃん、時間潰しのリーマンがいっぱいいる。意識低い系カフェ認定されるためにはこの手の人たちは必要条件。ドトールのコーヒーの味結構好きなんだよな。飲み慣れてるからかな。ここの氷は粒が小さいから、ガムシロとか混ぜる時に小気味良い音を立てるんだよな。街でドトールを見かけると安心してつい駆け込み寺しちゃう。そんなドトールだけど悲しい思い出がひとつある。冷凍都市TOKYOに住んでいた時、目白駅前にチャリンコを停めてドトールで小一時間ほどくつろいでたら、愛車が一瞬で撤去されていて茫然と立ち尽くしたことがある。ファッキン豊島区政。しかも引き取り料が高額で買い直した方がいいレベルだったから泣く泣くさよならした。愛車のナンシー号(シド&ナンシーのナンシー)はきっと中国か東南アジアに輸出されてしまったに違いない。いつだって別れは突然訪れるのだ。


2. ベローチェ
 ベローチェは都心しかないイメージ。ドトールに比べると店内は広め。こちらもおじいちゃんとリーマンの溜まり場と化している場合が多い。お手洗いはなぜか若干ハイテクで、鍵をかけるとお手洗い入口の「使用中」ランプが点灯する店舗が多い。これによって、トイレ前でまだかまだかと便意を抑えつつ無為な時間を過ごすことがなく、スマートに排便することが可能。コーヒーはやはり200円ちょいで飲める。席数が比較的多く、ほぼ100%席が空いているので入りやすい。


3. シャノアール
 こちらもベローチェ系列のチェーン店。昔ながらの喫茶店という感じ。コーヒーは一杯350円くらいだったかな。コーヒーにソフトクリームが乗っかったコーヒーフロートが好き。ココアにもソフトクリームが乗ってたっけ。大学の授業の合間によくここでボーッとしていた。懐かしいなあ。また行きたいなあ。

 

4. ラポール
 こちらは高田馬場にあった個人経営の喫茶店。ここにはホントに良く通った。いわゆる常連、行きつけの店ってやつ。うふふ。多い時は週5,6行ってたと思う。もはや常連というよりヌシ。コーヒー1杯230円で、おかわり100円。店員さんも感じのいい人ばっかりだった。居心地が良すぎてついつい長時間居座ってしまったけど満席になることは無かったからいいよね。大学のサークルの人たちも利用してたから結構顔を合わせることも多かった。この店で数えきれないほどの本を読み、友人・先輩・後輩と他愛のない会話をしたり、時折少し真面目な話もした。しかしこの店は大学卒業後、ほどなくして閉店。今はチェーン店に変わってしまった。人生のモラトリアムの思い出の地が静かにその幕を閉じたことに胸を痛めた。ああ、またラポールのアイスコーヒーが飲みたい…。復活を望む。



おまけ:意識低い系ではないけどよく利用する店
1. コメダ珈琲店
 家の近場に意識低い系カフェがないので利用している。コーヒーが420円と意識低い系カフェと比べると高めだけど、長時間居座れるので利用率高し。アイスコーヒーを頼むとガムシロ入りがデフォルトで出てくるので、いつも「ガムシロ別添えで」の呪文を唱えている。スタバの「なんとかかんとかのなんたらフラペチーノ」に比べたら遥かに簡単な呪文。ドラクエでいう「メラ」くらい。コメダは食べ物がボリューミーなんだよね。コーヒーの味は…ノーコメントで。


2. サンマルクカフェ
 某大型ショッピングモールに入ってる率が高い店。チョコクロとかパフェとかあるし意識低い系とは言い難いが、コーヒーは200円台とリーズナブル。甘味のメニューが豊富だからなのか知らんけど、ここのコーヒーはちょっと苦みが強め。あとショッピングモール内のテナント店だと便意を催したときにお手洗いが遠いのがネックなんだよね。一度店を出てテクテク歩いてかなきゃならんので、お店に入る前には一度お手洗いを済ませてから入ることをオススメします。コーヒーは利尿作用があるのでどうしてもトイレが近くなっちゃうからご利用は計画的に。

 

追記:なんとなく検索したらラポールのHPがまだ残ってたよ懐かしいいいい…!

高田馬場カフェ・ラポール

ロックとロックンロール

 先日の記事について、某友人から「ネットに怪文書を残すな」とのご指摘を受けたので今度は少しマトモな記事を書こうと思った。反省はしていない。

 

 

 ロックが好きな人ならロックとロックンロールの違いについて考えたこと、あるのではないでしょうか。私はこの問題について14才の頃から考え続け、中学生の時に友達宅で「ロックとロックンロールは違うんやぞ」と宣ったところ、「××君(私の名前)はよく分かっている!その通り!」とお菓子と麦茶を持ってきたその友達のお母さんから絶賛お褒めのお言葉を頂戴したのであった。死角から全力で抱きつかれた感じね。ちなみにそのお母さんはQUEENの大ファンでした。いいよね、フレディ・マーキュリー

 

 さて、じゃあ具体的にロックとロックンロールは何が違うんじゃい、という話になるわけだけど、これについては偉大なる先人達の金言があり、それらを踏まえたり踏まえなかったりする中で稚拙ながら私見を述べさせていただくと(我ながらむっちゃ予防線を張る)、

 

「ロックは音楽の1ジャンルであり、

ロックンロールは感情である」

 

という言葉に集約されるのだ…!

 

 

 おいおい、ロックンロールって音楽じゃないのかよ、って思った方、その通りです。辞書的意味でいうと確かにそうなんです。

 

「ロックンロールは、1950年代半ばに現れたアメリカの大衆音楽スタイルの呼称である」

「1960年代後半、ロックンロールが進化してその枠を壊し、新たなサウンドが生まれ、それらのサウンドの総称として「ロック」という言葉が使われている」

 

 どちらもウィキペディアからの引用です。まあ確かにロックンロールから始まりそこから進化・細分化された結果として「ロック」という呼称が使われてはいるのだけど、ここで辞書的意味を語ってもあんまり価値がない。それに一口にロックと言っても沢山あるからね。ハードロック、ブルースロック、サザンロック、パンクロック、グラムロックサイケデリックロック、プログレッシブロック、ノイズロック、ガレージロック、ミクスチャーロック、オルタナティブロック、ポストロック…とか挙げたらキリがない。しかし、これらの◯◯ロックのあとに「ンロール」がつくことはまず無い。「ハードロックンロール」「パンクロックンロール」ってとても違和感がある。

 

  ということで、「ロック」とは音楽のジャンルを指すということはなんとなくお分かり頂けるのではないでしょうか。では、「ロックンロール」は…?という問いに対しては、個人的な体験を基に説明しよう。

 

 

 今まで普通に生きてきたと思っていた14才のある夜。その夜私にロックンロールが降ってきた。

 その夜、セックスピストルズ
始めて聴いた。


「ああああああああああ!!!!!」

 という感情が沸き起こった。こればっかりは上手く言葉で表現できない、ともかく、「ああああああああああ!!!!!」なのだ。とてつもない衝撃。脳みそが180度回転して人生がひっくり返った。
 どうしようもなくじっとして居られなくて、始めたばかりでロクに弾けないベースをかき鳴らしながら夜中に髪を振り乱して暴れ回った。
 ピストルズ自体はジャンルでいうとパンクロックだけど、これこそロックンロールという感情だったのだ。この体験はよく「初期衝動」と言われる感情で語られる。音楽雑誌とかでよく使われる言葉だけど、「初期衝動」はあくまでも「初期」に起こるもんだと思ってる。ロックンロールは初期じゃなくても君が音楽を好きならばいつでも起こり得る。

 

 例えば。ライブで胸が熱くなる。なぜだか涙が出る。ただただ感動して立ち尽くす。気持ちを抑えきれずモッシュの嵐に飛び込む。これらは全てロックンロールなんです。
 後先を気にせず、または考えられず、ただ、感情の坂道を転がり続ける。これがまさにロックンロール。これはまとまったり整理したり割り切れる感情ではなく、完全にカオス。ただの混沌。それが白人音楽(カントリー)と黒人音楽(R&B、ブルース)がミックスされて生まれたロックンロールたる証拠であるし、人生ってそもそもカオス。だからロックンロールは人生にすごく似ている。

 ついでにひとこと。ロックンロールは上記のように本質的にカオスを内包しているので、「綺麗な」ロックンロールってのは偽物だ。本物のロックンロールはいつもぐちゃぐちゃだし泥臭い匂いがする。

 

 そして私は人生で失敗したりつまずいたりする度にロックンロールに救われる。今までの人生、失敗したりつまずいてばかりなので何回も救われてきました。そして救われる度に、私のロックンロール原理主義が強固なものとなり、ついには「佐野のロックンローラー」と嘯くことになっているというわけです。

 

 小説を読んでも漫画を読んでも映画を観ても「ああああああああああ!!!!!」という感情は起きない。音楽だけがこの感情を引き起こすことができるのだ。だから音楽はたまらなく素晴らしい。

Love is Real,Love is うんち

 うんちが好き、っていうとリスキーなので普段はあまり口にしないようにしているが、実のところ私はうんちが大好き。だってさあ、うんちって面白いじゃん。神様の贈り物だよきっと。ということでうんちについて語りまーす。

 

 

・うんちは茶色い
 うんちは茶色い、のは当たり前だと思っているそこのあなた。「うんち味のカレーとカレー味のうんち」が成り立つのは茶色いからなんだぞ。しかしなぜ茶色いのか。地味である。もっと主張してくれないと道端で踏んずけちゃうよ。もっとカラフルだったら楽しいのになあと思ったりしない?私はそう思います。黄色いうんちが出たら今日は金運がいいとか、紫うんちが出たら怪我に気を付けて一日を過ごしましょうとか、ピンクうんちが出たら意中の人に告白すると成功しますとか、そんなおみくじうんちがあってもいいじゃない。
 少し真面目な話をすると、うんちがなぜ茶色いかというのは中に「ウロビリン」という色素が混じっているからだそうだ。血液中の古い赤血球が排出される過程でうんちに混じるから茶色くなるんだって。スマホの検索履歴を代償にまたひとつ賢くなった。

 

 

・うんちは臭い
 うんちって臭い。「臭い」という事象は人の感情を突き動かす。うんちに限らず臭いものを嗅いだ時「くっせー!!」「やば!くっさ!!」って思わず口走るでしょ。臭いものを嗅いだとき、ある意味感情が突き動かされているんだよね。しかも、そこに友達とかいた場合、「やばいからちょっと嗅いで?」って人に勧めがち。これはこの「臭い」という事象を他者と共有し、共感したいと思っているんですわ。
赤ちゃんも老人も有名人もアイドルもみんなうんちをする。ゆりかごから墓場まで。うんちは人類平等なのだ。そしてうんちは須らく臭い。臭くないうんちなんてうんちじゃない!

 

 

・うんちは多種多様
 うんちは多種多様。便秘時のうんち、下痢時のうんちはまるで別人のようである。このバリエーションの多さは、まるで人類のようだ。話す言葉や肌の色が違っても人類みな一緒。ラブアンドピースアンドうんち。しかし、よくマンガなどで出てくる、「とぐろを巻いたうんち」にはそうそう巡り会えない。洋式トイレより和式トイレの方が出現確率は高いものの、自ら進んで和式を選択することはないからなかなかお目にかかれないジレンマ。ただの自慢だけど、私は人生で一度だけ洋式トイレでとぐろうんちを現出させたことがある。水面に沈むその美しさ、神々しさに思わず手を合わせ拝みそうになったほどだ。

 

 

 そしてここまで書いてきて気がついた。うんちが好きなのではなく、うんちという概念が好きということに。考えてみればリアルなうんちがパッと目の前に現れたら困る。私が好きなのは、うんちという概念が内包している可笑しみやユーモアなのだ。

 

 ついでに最後にひとこと。「うんこ」と「うんち」は似て非なるものなり。その違いが分かる大人に君たちにもなってほしいと常日頃願っている。